2009年9月16日水曜日

成果主義という名の欠陥システム

ふと検索をしている時に日経BP社のTech-On!というサイトを見つけ、さらに偶々「思索の副作用」を読みました。
これが非常に面白く、適度に砕けた文章ですが、流石物書きの方の生きた文書で、面白くて久々夜更かしをして一気に読み切ってしまいました。
多分、ネタや文章等に魅力があった事も一因でしょうが、それ以上に考え方に共感できる事が多々あったという事、私も天邪鬼だという事が最大の理由かも知れません。

その中で1つ挙げると「成果主義の弊害と弊害と弊害」が特に共感しました。他にも考えさせられるもの等多々あったが、この話を話題にします。

私の会社も言い方は違うが所謂「成果主義」というのを数年前から制度として取り入れています。制度初年度から私は反対で、その最たる理由の一つが「評価する側の能力」でした。

外部講師に評価制度の説明を受けた時、「御社の評価システムは非常に素晴らしいです。」という言葉を聞き、思わず「どんな素晴らしいシステムでも、評価する側の曖昧さという運用上の欠陥があれば、そんな制度はいらない」と反論してしまいました。
また、労働組合が説明会を開いた時、「会社と十分折衝して、組合員にも十分説明をした。」と聞いた瞬間も、「十分とは誰にとって十分か。こういった説明会を開いても、説明不足の時期尚早だという意見が多く出る。流れを聞いていると、時間切れでねじ込まれたとしか思えない。仕事へのモチュベーションはお金や出世だけじゃない。」と食ってかかりました。

こんな行動を取りながらも、何か釈然としない気持ちがあり、毎年成果目標を立て、評価されていても、漠然とした不安だけが募る一方でした。どんなにこの成果主義というシステムを運用面を含めブラッシュアップしても、いいシステムになる気がしないという気持ちが。


そんな時、今回のコラムに出会いました。

「(成果主義は、)拝金主義の台頭,組織の硬直化,密告社会という三つの現象(=弊害を齎す)」

「さる企業の人事担当者に聞いた話によれば、人というのは程度の差こそあれ、自身の評価には甘く、他人の評価は辛くなりがちな存在で、極めて公正な評価をしたとしても多くの人が「不当に低い評価を受けた」と感じるのだという。さらに、あるエコノミストの方に教わった行動経済学の原則によれば、人は「損をした」ときに「得をした」ときの3倍大きい精神的ショックを受けるという。 」

「多くの議論で「成果主義という制度自体が悪いのではない。公平な評価ができてない、透明性がないといった運用上の問題がこうした弊害を生むのだ」というところに落ちていく。それも真実なのかもしれない。けれど、ここに挙げた三つの弊害は、いくら評価を公正にしたところで解消しないのではないかとも思うのである。」


目から鱗が落ちた気がしました。そうかこういう要素もあるのかと。


無駄(と思っている事)を無くす、コストパフォーマンス重視の成果主義、人材の流動化無き派遣や中高年のリストラ。
大事な事は相手を慮る気持ち。やっぱり、これも目先の利益しか考えていない経営者とそれを取り巻くイエスマンが多いって事でしょうか。